シンガポール 移住・赴任関連

東南アジア移住ガイド:日本出国時の税務と移住要件、その他注意点

日本居住者がシンガポール・マレーシア・タイなどへ移住する際には、税務だけでなく、住民票・年金・健康保険・金融口座といった生活基盤の手続きが同時に発生します。しかもその多くは出国前でなければ間に合わない、あるいは出国前に済ませておかないと不利になるものです。

本稿では、日本側で必要となる手続きを時系列で整理したうえで、移住後の課税関係と主要国の滞在資格の考え方を解説します。

目次

1. 出国前チェックリスト(時系列)

時期 手続き 提出先
出国3〜6か月前 出国税の該当有無の判定、資産評価 税理士
出国3か月前〜 証券会社・銀行への出国届出、口座方針の決定 各金融機関
出国3か月前〜 NISAの継続適用届出書(該当する場合) 証券会社
出国前まで 納税管理人の届出書 所轄税務署
出国前まで 住民税の納税管理人申告 市区町村
出国14日前〜前日 海外転出届(国民健康保険・国民年金の資格喪失を含む) 市区町村
出国前日まで マイナンバーカードの国外継続利用手続き 市区町村
出国前まで 住民票の除票・戸籍謄本等の取得 市区町村
出国前まで 国民年金の任意加入申出(任意) 市区町村・年金事務所
出国後3か月以上滞在 在留届 在外公館(ORRnet)
翌年3月15日 確定申告(納税管理人を届け出た場合) 所轄税務署

特に期限が硬いものは、①納税管理人の届出(出国の時まで)、②マイナンバーカードの継続利用(転出予定日の前日まで)、③NISAの継続適用届出書(出国前日まで)の3つです。いずれも出国後の取り返しがききません。

2. 海外転出届と住民票の除票

2-1. 提出の要否

海外での滞在が1年以上見込まれる場合、住所地の市区町村に「海外転出届(国外転出届)」を提出し、住民票を除票にします。おおむね転出予定日の14日前から受付が可能です。

1年未満の滞在予定であれば、原則として提出は不要です。

2-2. 転出届を出さない場合に生じる負担

住民票を残したままにすると、次の負担が継続します。

  • 住民税:毎年1月1日時点で住所があるものとして課税され続ける
  • 国民健康保険料:加入資格が継続し、保険料の負担も継続
  • 国民年金保険料:第1号被保険者として強制加入が継続

一方で、住民票を残す実益は「海外療養費が使える可能性」程度に限られます(9-3参照)。長期移住であれば、転出届を提出するのが原則的な取扱いです。

2-3. 転出に伴って同時に失効・喪失するもの

転出届の提出により、次のものが同時に処理されます。窓口で一括して案内されることが多いものの、漏れが起きやすい部分です。

  • 国民健康保険の資格(転出日の前日で喪失。保険証・資格確認書は返却)
  • 国民年金の強制加入資格(任意加入を希望する場合は別途申出が必要)
  • 印鑑登録(失効します。帰国後に再登録が必要)
  • マイナンバーカード(国外継続利用の手続きをしない限り失効。11参照

2-4. 出国前に取得しておくべき書類

海外からの取り寄せは時間も費用もかかります。次の書類は複数部、出国前に取得しておくことを推奨します。

  • 住民票の除票の写し:現地でのビザ申請、日本での不動産登記、将来の相続手続き等で使用します。転出届の提出後に取得できます(除票の保存期間は2019年6月20日以降、150年に延長されています)
  • 戸籍謄本(全部事項証明書):ビザ申請・家族関係の証明に使用
  • 納税証明書・課税証明書:ビザ申請で所得証明を求められる場合に使用
  • 年金記録関係の書類(基礎年金番号がわかるもの)
  • 運転免許証の記載事項証明、国際運転免許証(必要に応じて)

2-5. 在留届

現地に3か月以上滞在する場合、在外公館への「在留届」の提出が義務づけられています(旅券法第16条)。オンライン(ORRnet)で提出できます。緊急時の連絡や、在外選挙人名簿への登録の前提にもなります。

3. 移住した年の住民税(1月1日ルール)

「日本を出たのに住民税の納付書が届いた」という相談は非常に多く、その原因はほぼすべて賦課期日の理解にあります。

3-1. 仕組み

個人住民税は、その年の1月1日(賦課期日)時点で住所がある市区町村が、前年1月〜12月の所得に対して課税します。年度の途中で出国しても、この課税は取り消されません。

3-2. 具体例

例1|2026年3月にシンガポールへ移住した場合

  • 2026年1月1日時点:日本に住所あり
  • → 2025年分の所得に対する2026年度の住民税は全額課税されます
  • 出国後も、6月以降に届く納税通知に基づいて納付義務が残ります

例2|2026年12月中に転出届を提出し出国した場合

  • 2027年1月1日時点:日本に住所なし
  • → 2026年分の所得に対する2027年度の住民税は課税されません

つまり、出国のタイミングが年内か年明けかで、住民税1年分の差が生じます。所得が大きい年に出国する場合は、この点を踏まえた時期の検討に実益があります(ただし所得税の申告義務は別途生じるため、総合的な判断が必要です)。

3-3. 納付方法

  • 給与から特別徴収されていた方:退職時に残額を最終給与から一括徴収するか、普通徴収に切り替えて自分で納付します。勤務先への確認が必要です。
  • 普通徴収の方:出国後は納税通知書が届かなくなるため、市区町村に「納税管理人」を届け出る必要があります。

3-4. 住民税の納税管理人は税務署の届出とは別

ここは実務上の落とし穴です。

  • 所得税・消費税の納税管理人 → 税務署へ「所得税・消費税の納税管理人の届出書」
  • 住民税・固定資産税の納税管理人 → 市区町村へ「納税管理人申告書」

両者は別々の手続きであり、税務署に届け出れば住民税もカバーされるわけではありません。国内に不動産を残す場合は、固定資産税についても同様に市区町村への届出が必要です。

4. 国外転出時課税(出国税)

4-1. 制度の概要

一定の居住者が国外転出する際、対象資産を譲渡したものとみなして含み益に課税する制度です(所得税法60条の2)。

対象者(両方を満たす場合)

  • 国外転出時に1億円以上の対象資産を所有等していること
  • 国外転出前10年以内に、国内に住所または居所を有していた期間の合計が5年超であること

対象資産

  • 有価証券(株式・投資信託・国債・社債等)
  • 匿名組合契約の出資持分
  • 未決済の信用取引・発行日取引
  • 未決済のデリバティブ取引

注記:1億円の判定は対象資産の時価の合計額で行い、含み益の額ではありません。また、不動産・預貯金は対象資産に含まれません。暗号資産(デジタルトークン)は現行制度では対象外とされていますが、取扱いには議論があるため個別確認を推奨します。

税率

15.315%(所得税15%+復興特別所得税0.315%)

株式等の譲渡所得と同じ分離課税ですが、通常の譲渡益と異なり住民税5%は課されません。個人住民税の賦課期日である翌年1月1日時点で国内に住所がないためです。

4-2. 納税猶予制度の実務手続き

出国税は「まだ売っていない資産」への課税であるため、納税資金が手元にないことが通常です。そこで納税猶予制度が用意されています。

猶予期間

  • 原則:国外転出の日から5年(正確には5年4か月)
  • 延長:5年の猶予期限が満了する前に「納税猶予期限延長届出書」を提出することで、さらに5年(通算10年4か月)

適用を受けるための要件

  1. 国外転出の時までに、所轄税務署へ納税管理人の届出をすること
  2. 確定申告書に納税猶予の特例の適用を受けようとする旨を記載し、所定の明細書等を添付すること
  3. 納税を猶予される所得税額および利子税額に相当する担保を提供すること

猶予期間中の継続的な義務

猶予は「取っておしまい」ではありません。各年12月31日時点で対象資産を所有している旨を記載した「継続適用届出書」を、翌年3月15日までに毎年提出する必要があります。提出を怠ると猶予が打ち切られ、納税義務が確定します。

担保について

上場株式のように評価と換価が容易な資産が想定されています。非上場株式については、令和5年4月1日以降、株券不発行のまま質権設定により担保提供できるよう手続きが簡素化されましたが、実務負担は依然として小さくありません。

猶予期間中に売却した場合

猶予期間中に対象資産を譲渡した場合、その部分に対応する税額の猶予は打ち切られ、譲渡の日から4か月以内に納付が必要です。なお、実際の譲渡価額が出国時の価額を下回っていた場合には、更正の請求により減額を受けられる場合があります。

4-3. 帰国した場合の課税の取消し

猶予期間内(5年以内、延長した場合は10年以内)に帰国し、その時まで対象資産を引き続き所有している場合、国外転出時課税の適用がなかったものとして課税を取り消すことができます。

手続きは、帰国の日から4か月以内の更正の請求または修正申告です。この期限は短く、失念しやすい点に注意が必要です。

4-4. 納税管理人を届け出ない場合の不利益

出国の時までに納税管理人を届け出ない場合、次の不利益があります。

  • 対象資産の評価時点が「出国予定日の3か月前の日」となり、その後の株価変動リスクを納税者が負う
  • 申告・納付を出国の日までに済ませる必要がある(納税猶予も選択できない)
  • 各種所得控除の判定日が出国日となる(6-3参照

納税管理人の届出は、出国税の実務における事実上の前提条件と考えて差し支えありません。

5. 出国年の確定申告

出国する年は、居住者であった期間と非居住者であった期間が混在します。

5-1. 納税管理人を届け出た場合

  • 通常どおり、翌年2月16日〜3月15日に確定申告を行います
  • 居住者期間の全世界所得+非居住者期間の国内源泉所得を合算して申告します
  • 納税管理人が代理で提出・納付します(e-Taxによる申告も可能です)

5-2. 納税管理人を届け出ない場合

  • 出国の日までに「準確定申告」を行い、その年1月1日から出国日までの所得について申告・納税します
  • 出国直前の多忙な時期に申告作業が発生するため、実務上は避けたい選択です

5-3. 出国後に国内源泉所得が生じる場合

出国後に不動産所得等が生じるのであれば、いずれにせよ翌年以降も確定申告が必要になります。この場合、納税管理人を届け出て通常の申告サイクルに乗せるのが合理的です。

6. 納税管理人の届出

6-1. 納税管理人とは

非居住者に代わって、確定申告書の提出、税金の納付、還付金の受領、税務署からの書類の受領を行う者です。

  • 法人でも個人でも可
  • 税理士資格は不要(親族、不動産管理会社の担当者等でも可)
  • 「所得税・消費税の納税管理人の届出書」を、納税地を所轄する税務署に提出します

ただし、申告書の作成責任や税務署とのやり取りが伴うため、実務上は税理士または信頼できる法人を選任するのが安全です。

6-2. 届出が必要となる主なケース

ケース 必要性
日本国内に不動産を残して賃貸する 必須(毎年の確定申告が必要)
国外転出時課税の納税猶予を受ける 必須(要件そのもの)
国内不動産を出国後に売却する 必須(譲渡所得の申告)
出国年の確定申告を通常サイクルで行いたい 必要
国内で事業を継続する(個人事業) 必要
消費税の課税事業者である 必要
国内源泉所得がなく、申告義務もない 不要

6-3. 届出の有無で変わる所得控除の判定日

見落とされやすい論点です。配偶者控除・扶養控除・障害者控除・ひとり親控除等の適用判定は、

  • 納税管理人の届出をした場合:その年の12月31日時点で判定
  • 納税管理人の届出をしないで出国した場合:出国の日時点で判定

となります。出国後に扶養親族の状況が変わる予定がある場合、有利不利が生じます。

なお、医療費控除・社会保険料控除・生命保険料控除・地震保険料控除は、いずれの場合も居住者期間内に支払った金額を基に計算します。

6-4. 住民税・固定資産税は別途市区町村へ

再掲になりますが、税務署への届出とは別に、市区町村への納税管理人申告が必要です。国内に不動産を残す場合は固定資産税の納税通知書の送付先設定も併せて行ってください。

7. 非居住者となった後の所得税

7-1. 課税関係の全体像

出国後は「非居住者」として、日本国内で生じた所得(国内源泉所得)のみが日本で課税されます。国外で生じた所得は日本では課税されず、居住地国の税法に従います。

所得の種類 日本での取扱い 税率
預貯金の利子 源泉分離課税(申告不要) 15.315%
上場株式等の配当 源泉分離課税(申告不要) 15.315%
給与(国内勤務分) 源泉徴収で完結 20.42%
内国法人の役員報酬 源泉徴収で完結 20.42%
不動産所得 源泉徴収+確定申告 源泉20.42%/申告は累進税率
国内不動産の譲渡 源泉徴収+確定申告 源泉10.21%/申告は分離課税
事業所得(恒久的施設あり) 確定申告 累進税率

国内法人の役員である方への注意:海外に移住して非居住者となっても、内国法人の役員として受ける報酬は、国内勤務分か否かを問わず全額が国内源泉所得として扱われるのが原則です(使用人兼務役員として海外支店等で常時勤務する場合等を除く)。移住後も日本法人の役員を続ける方は、この点を必ず確認してください。

7-2. 日本に不動産を残して移住した場合の賃貸所得

移住相談で最も多い論点です。ここは誤解が多いため、丁寧に整理します。

(1) 借主による20.42%の源泉徴収

非居住者に日本国内の不動産の賃借料を支払う者は、支払の際に20.42%を源泉徴収し、翌月10日までに納付する義務があります(所得税法212条)。オーナーが受け取るのは賃料の79.58%です。

ただし、次の場合は源泉徴収は不要です。

借主が個人であり、その不動産を自己またはその親族の居住の用に供するために借り受けている場合

したがって、実務上は次のように分かれます。

借主 用途 源泉徴収
個人 自己・親族の居住用 不要
個人 事業用・投資用 必要
法人 社宅・事務所等 必要

一般的な住宅の賃貸であれば源泉徴収は生じないケースが多い一方、法人が社宅として借り上げるケースでは源泉徴収義務が発生します。借主側の法人が非居住者オーナーであることを認識していないと、後日の徴収漏れ・不納付加算税につながります。管理会社を通じて、賃貸借契約時に借主へ通知する体制を整えておくべきです。

(2) 源泉徴収されても課税関係は終わらない

20.42%は税率ではなく、あくまで前払いです。

非居住者の不動産所得は総合課税であり、翌年3月15日までに確定申告を行い、居住者と同じ累進税率(5%〜45%)で税額を計算します。源泉徴収された20.42%はここで精算されます。

減価償却費・固定資産税・修繕費・管理費・借入金利子等を必要経費として控除できるため、実際の所得金額は賃料収入を大きく下回ることが多く、源泉税の還付を受けるケースが少なくありません。申告をしないと、この還付は受けられません。

(3) 非居住者が使える所得控除は限定的

ここは居住者との大きな違いです。非居住者の総合課税分について適用できる所得控除は、原則として次の3つに限られます。

  • 基礎控除
  • 雑損控除
  • 寄附金控除

社会保険料控除・生命保険料控除・医療費控除・配偶者控除・扶養控除等は適用できません(出国年については、居住者であった期間に対応する部分の適用があります)。居住者時代と同じ感覚で税額を試算すると、実際の負担が想定より重くなります。

(4) 青色申告

非居住者でも青色申告は可能です。承認申請は納税管理人を通じて行います。65万円(55万円)控除や損失の繰越しを活用するため、移住前に手続きを済ませておくことを推奨します。

(5) 出国前に見直すべき契約

  • 賃貸管理会社との契約:非居住者オーナーの対応可否、源泉徴収に関する借主への通知体制、送金先(海外口座送金の可否)
  • 火災保険・地震保険:契約者住所の変更、海外住所での契約継続可否
  • 借入金がある場合:住宅ローンは「自己居住」が要件であり、賃貸に転用すると契約違反となるのが通常です。金融機関への相談が必須です

(6) 将来の売却を視野に入れた計画

非居住者が国内不動産を売却する場合、買主に10.21%の源泉徴収義務が生じます(譲渡対価1億円以下で、買主が個人かつ自己・親族の居住用である場合を除く)。

なお、居住用財産の3,000万円特別控除は、居住しなくなった日から3年を経過する日の属する年の12月31日までの譲渡であれば、非居住者となった後でも適用の余地があります。移住から3年という期限があるため、売却を予定しているのであれば早期の判断が有利に働く場合があります。

7-3. 二重課税の調整

日本で課税された所得について、居住地国でも課税される場合には、租税条約または居住地国の外国税額控除により調整します。

日本はシンガポール・マレーシア・タイのいずれとも租税条約を締結しており、配当・利子・使用料等について源泉税率の軽減を受けられる場合があります。適用には出国後に「租税条約に関する届出書」を支払者経由で提出する必要があり、自動的には適用されません。

8. 公的年金の取扱い

8-1. 海外転出により強制加入義務はなくなる

海外転出届の提出により、国民年金の第1号被保険者資格を喪失します。以後、保険料の納付義務はありません。

なお、日本の会社に在籍したまま海外勤務する場合は、厚生年金保険の被保険者資格が継続します(現地法人への転籍・退職の場合は喪失)。

8-2. 国民年金の任意加入という選択

海外居住中も、日本国籍を有する20歳以上65歳未満の方は、国民年金に任意加入できます。加入するかどうかは、判断を要する論点です。

任意加入するメリット

  • 納付した期間が老齢基礎年金の額に反映される
  • 海外在住期間中に死亡・障害状態となった場合に、遺族基礎年金・障害基礎年金の対象となる

任意加入しない場合の扱い(合算対象期間=いわゆる「カラ期間」)

海外在住期間は「合算対象期間」として扱われ、

  • 老齢基礎年金の受給資格期間(10年)の判定には算入される
  • ただし年金額には一切反映されない
  • 障害基礎年金・遺族基礎年金の対象外

つまり、任意加入をしないと「受給資格は失わないが、その期間分の年金は増えず、万一の保障もない」状態になります。

判断の目安

  • 40年(480月)の納付済期間を満たしていない方 → 満額に近づけるため任意加入の実益が大きい
  • 移住先が現地の公的年金制度をカバーしない方(後述) → 保障の空白を埋める意味がある
  • 既に480月を満たしている方 → 老齢基礎年金の増額はなく、実益は限定的

手続き上の注意

  • 出国前:住所地の市区町村
  • 出国後:日本国内における最後の住所地の市区町村、または管轄の年金事務所(国内協力者がいない場合は郵送等)
  • 海外転出日に遡っての加入はできず、手続きを行った月からの加入となります。出国前に済ませておくのが確実です
  • 保険料の納付方法は、日本国内の口座からの口座振替、または国内協力者を通じた納付書払いです。国内銀行口座の維持が前提になる点にご注意ください(10-4参照

8-3. 脱退一時金は日本人には適用されません

しばしば誤解がありますが、脱退一時金は「日本国籍を有しない方」を対象とする制度です(日本年金機構)。短期滞在の外国人が保険料の掛け捨てとならないようにする救済措置であり、日本人が海外移住しても請求することはできません。

日本人にとっての選択肢は、任意加入するか、カラ期間として扱うかの二択です。

8-4. 社会保障協定の有無

日本は2026年時点で24か国と社会保障協定を発効させていますが、シンガポール・マレーシア・タイとは締結されていません(ASEANではフィリピンのみが2018年8月に発効済)。

これは、これらの国へ移住する場合、

  • 保険料の二重負担を調整する仕組みがない
  • 年金加入期間の通算ができない

ことを意味します。移住先で年金制度に加入しても、日本の受給資格期間には通算されません。

なお、シンガポールのCPF(中央積立基金)は市民・永住権者(PR)が対象であり、Employment Pass等で就労する外国人は加入対象外です。したがって在職中の二重負担は生じにくい一方、PRを取得するとCPFの拠出義務が発生します。

8-5. 海外在住中の年金受給

海外に居住していても、日本の老齢年金は受給できます。

  • 現況届:年に1回(原則として誕生月)、在外公館等の証明を受けた現況届の提出が必要です。提出を怠ると支給が差し止められます
  • 受取口座:日本国内の口座のほか、海外の口座での受取りも可能です
  • 課税:日本の公的年金は国内源泉所得に該当し、原則として源泉徴収の対象です。ただし、65歳未満は月額5万円、65歳以上は月額9.5万円を控除した残額に対して20.42%が源泉徴収される仕組みであり、年金額によっては課税が生じない場合もあります
  • 租税条約:移住先との租税条約に年金条項があり「居住地国のみで課税」とされている場合には、「租税条約に関する届出書」の提出により日本での源泉徴収が免除されます。国ごとに規定が異なるため、個別確認が必要です

9. 健康保険の脱退と医療の備え

9-1. 国民健康保険

海外転出届の提出により、転出日の前日をもって資格を喪失します。保険証・資格確認書は返却が必要です。多くの自治体では、転出届の窓口で同時に手続きが行われます。

9-2. 会社の健康保険(協会けんぽ・健康保険組合)

退職して移住する場合、退職により被保険者資格を喪失します。任意継続被保険者制度の利用可否については、保険者ごとに運用が異なります。特に被扶養者については原則として国内居住要件が課されている点にも留意が必要です。加入している健康保険の保険者に、海外転出後の取扱いを事前に確認してください。

9-3. 海外療養費制度は移住者には使えないのが原則

海外療養費は、日本の公的医療保険の被保険者資格がある方が海外で急病等により治療を受けた場合に、帰国後に一部の払戻しを受けられる制度です。

したがって、海外転出届を提出して国民健康保険を喪失した時点で、この制度は使えなくなります

なお、住民票を残せば制度上は利用可能ですが、次の理由から移住者にとって現実的な選択肢とは言えません。

  • 住民税・国民健康保険料・国民年金保険料の負担が継続する
  • 支給額は「日本国内で同様の治療を受けた場合の費用」を基準に算定されるため、医療費水準の高い国では自己負担が大きく残る(シンガポールは特に顕著です)
  • 治療を目的とした渡航は対象外
  • 診療内容明細書・領収明細書に日本語訳の添付が必要で、手続き負担が重い
  • そもそも1年以上の滞在で住民票を残すことは、住民基本台帳制度の趣旨に沿いません

9-4. クレジットカード付帯の海外旅行保険は移住には不十分

出国時の航空券を決済することで付帯保険が適用される、という説明を目にすることがありますが、これは「旅行」を前提とした保険です。

  • 補償期間は出国から最長90日程度が一般的
  • 「生活の本拠を海外に移した後」は対象外とする約款が多い
  • 補償額の上限が低く、入院・手術には不足しがち

一時帰国や渡航直後の空白期間を埋める用途には有効ですが、移住後の医療の備えとしては機能しません

9-5. 実務上の選択肢

手段 内容 留意点
現地の雇用主が提供する医療保険 就労ビザで働く場合の基本 補償範囲・扶養家族の扱い・退職時の失効時期を確認
現地の民間医療保険 各国で商品あり 加入時年齢・既往症の告知・更新可否
国際医療保険(グローバル保険) 世界共通の補償、一時帰国時も対応可 保険料は高額。日本での治療をカバーするか要確認
日本の民間医療保険の継続 既契約の継続 海外在住中の給付対象外となる特約が多い。契約者住所変更の可否も含め保険会社に確認

渡航前に必ず確認すべき点

  • 出国日から現地保険の効力発生日までの空白期間をどう埋めるか
  • 既往症がある場合の引受可否(移住後の新規加入は不利になりがちです。出国前に確保しておくべき論点です)
  • 日本の生命保険・医療保険について、海外転居後の契約継続可否と保険料の払込方法

10. 証券口座・NISA・iDeCo・銀行口座

10-1. 証券口座(特定口座)

非居住者は原則として特定口座を利用できません。出国にあたっては、多くの証券会社で以下のいずれかの対応となります。

  • 保有商品を売却して口座を解約する
  • 特定口座を廃止し、一般口座へ払い出したうえで保有を継続する
  • 常任代理人を設定して非居住者口座で保有を継続する(対応可能な証券会社は限られます)

対応方針は金融機関により大きく異なります。出国前に、取引している証券会社の非居住者対応を必ず確認してください。届出をせずに住所変更のみを行った、あるいは何もせず放置した場合、規約違反として口座凍結・強制解約となるリスクがあります。金融機関はCRS(共通報告基準)に基づく情報交換や本人確認書類の更新等を通じて、非居住者であることを把握します。

10-2. NISA

原則として、非居住者はNISA口座を利用できません。出国により口座は廃止され、保有商品は課税口座へ払い出されます。

例外(継続適用制度)

「転任の命令その他これに準ずるやむを得ない事由」により出国する場合に限り、出国の前日までに「継続適用届出書」を金融機関へ提出することで、最長5年間(出国日から5年を経過する日の属する年の12月31日まで)、既存の保有分を非課税のまま保有し続けることができます。帰国後に「帰国届出書」を提出すれば取引を再開できます。

ここが重要です。この特例は会社命令による海外赴任を想定した制度であり、自己都合による移住・リタイア移住は原則として対象外です。本稿が想定する「東南アジアへの移住」の多くのケースでは、NISA口座は廃止されると考えておくべきです。

また、継続適用制度の対象となる場合であっても、

  • 非居住期間中の新規買付・積立はできません
  • 制度上は可能でも実務対応していない金融機関が多く、証券会社によっては出国前の解約を求められます
  • 出国税の対象となる場合には、そもそも継続は認められません

10-3. iDeCo(個人型確定拠出年金)

2022年5月の制度改正により、国民年金に任意加入している海外居住者はiDeCoの加入者となり、掛金の拠出を継続できるようになりました。

状況 iDeCoの扱い
国民年金に任意加入する 加入者として掛金拠出を継続できる
任意加入しない 運用指図者(拠出停止、運用のみ継続)
日本の会社に在籍したまま海外赴任(厚生年金継続) 加入者資格が継続

判断上の注意点

  • 掛金の全額所得控除というiDeCo最大のメリットは、日本に課税所得がなければ機能しません。非居住者となり日本での所得がない場合、拠出を続ける税務メリットは実質的にありません
  • 運用指図者となっても口座管理手数料は発生し続けます。少額の資産では手数料負けするおそれがあります
  • 原則60歳まで引き出せません。これは海外移住しても変わりません
  • 脱退一時金の要件は極めて厳しく、現実的な選択肢ではありません
  • 移住先の国によっては、iDeCo資産が現地の課税・報告対象となる可能性があります

10-4. 銀行口座

  • 非居住者となる場合、銀行への届出が必要です。非居住者口座への切替えに対応する銀行と、口座解約を求める銀行があります
  • ネット銀行は非居住者の口座維持に厳格な傾向があります
  • 国民年金の任意加入や納税管理人経由の納税には、国内口座が実質的に必要です。少なくとも1つは維持できる口座を確保しておくことを推奨します
  • 郵便物の送付先を国内の納税管理人・親族等に設定しておきます

10-5. クレジットカード

日本発行のカードは、非居住者となった後の継続利用可否が会員規約により異なります。年会費の引落口座、更新カードの送付先の確保が必要です。現地での与信構築には時間がかかるため、出国前に現地で使えるカードの手当てを検討しておくと安心です。

11. マイナンバーカードと海外転出

2024年5月27日から、国外転出後もマイナンバーカードを継続して利用できるようになりました。(それ以前は、国外転出により失効する取扱いでした。)

11-1. 出国前に手続きをする場合(推奨)

  • 国外転出届の提出時にマイナンバーカードを持参し、「個人番号カード国外継続利用申請書 兼 電子証明書失効申請/新規発行申請書」を提出します
  • これにより、有効期限までカードを継続利用でき、マイナポータルも利用可能になります
  • 署名用電子証明書も国外転出により失効するため、継続して利用するには継続利用手続き後に改めて発行を受ける必要があります
  • 期限は「転出予定日の前日まで」です。この手続きを行わない場合、カードは失効します

11-2. 手続きをせずに出国してしまった場合

  • 2015年10月5日以降に国外転出した日本国籍の方は、国外転出者向けマイナンバーカードを改めて申請できます
  • 申請・受取は在外公館、または一時帰国時に国内の市区町村で行えます(オンライン申請も可能です)
  • 国外転出後90日以内であれば無料で交付申請できます。90日を経過すると手数料が発生します

11-3. 対象外となる方

  • 日本国籍を有しない方(元日本国籍者、特別永住者等を含む)
  • 2015年10月5日より前に国外転出し、それ以降に日本で住民票が作成されたことがない方

11-4. 帰国後

帰国して転入届を提出した際に、国内向けのカードへ切り替える手続きを行います。

12. 相続税・贈与税の取扱い

12-1. 判定の基本構造

日本の相続税・贈与税の課税範囲は、被相続人(贈与者)と相続人(受贈者)の双方について、住所と国籍を見て判定します。

状況 課税範囲
被相続人・相続人のいずれかが日本国内に住所あり 全世界財産
双方が国外に住所あり、かついずれかが日本国籍を有し、相続開始前10年以内に日本に住所を有していた 全世界財産
双方が国外に住所あり、かつ双方とも10年超にわたり日本に住所がない 国内財産のみ

12-2. 「10年ルール」の実務的な含意

しばしば「移住して10年経てば日本の相続税がかからない」と説明されますが、正確ではありません。

被相続人と相続人の双方が、それぞれ10年超にわたり日本に住所を有していないことが必要です。親だけが移住して10年を経過しても、子が日本に住んでいれば全世界財産が課税対象となります。家族単位での検討が不可欠です。

贈与税についても同様の10年ルールが適用されます。

12-3. 移住先の相続税制

  • シンガポール:相続税(Estate Duty)は2008年に廃止されており、課税されません
  • マレーシア:相続税はありません
  • タイ:2016年に相続税が導入されています。一定額を超える相続財産について、直系尊属・卑属とその他で税率が異なります。「東南アジアには相続税がない」という前提は誤りです

なお、日本が相続税に関する租税条約を締結しているのは米国のみです。これらの国との間で相続税の二重課税が生じた場合、日本の相続税法上の外国税額控除で調整することになります。

13. 主要国の滞在資格の考え方

各国の要件は改定が頻繁で、公表数値も短期間で陳腐化します。ここでは制度の構造と検討の視点を示し、最新の具体的要件については各国別の記事および公式当局の情報をご確認ください。

シンガポール

  • 就労を伴う移住が基本ルートです。Employment Pass(EP)、S Pass、Work Permitなどのパスがあり、EPには最低適格給与が定められ、年齢とともに水準が上昇します。加えてCOMPASSと呼ばれるポイント制の評価が導入されています
  • 永住権(PR)については、「月給いくら以上」という公表基準は存在しません。ICAによる総合評価であり、就労実績、給与水準、学歴・職歴、家族構成、滞在期間などが考慮されます。実務上、一定期間の就労実績を積んだうえでの申請が一般的です
  • PRを取得するとCPFの拠出義務が生じる点は、資金計画上の考慮事項です

マレーシア

  • MM2H(Malaysia My Second Home)は制度改定が続いており、現在はSilver / Gold / Platinum に加え、ジョホール州の特別経済区を対象とするSEZ枠を含む区分制となっています
  • 2021年版で導入された月収要件は廃止された一方、マレーシア国内の不動産購入が必須となり、定期預金額と最低物件価格がティアごとに設定されています
  • 年間の最低滞在日数が課され、申請は認定エージェント経由に限られます
  • ネット上には2021年版の数値(定期預金RM100万・月収RM4万等)が多数残存しています。必ずMOTACの公式情報で確認してください

タイ

  • 従来の「タイランド・エリートビザ」はThailand Privilege Cardとして再編されています
  • このほか、専門人材・富裕層向けのLTR(Long-Term Resident)ビザ、リモートワーカー等を対象とするDTV(Destination Thailand Visa)など、選択肢が増えています
  • 滞在資格と税務上の居住者判定(暦年183日基準)は別問題であり、長期滞在ビザの取得はタイでの納税義務の有無とは直結しません

14. その他の実務論点

14-1. 国外財産調書

その年の12月31日時点で5,000万円超の国外財産を有する居住者は、翌年6月30日までに国外財産調書を提出する義務があります。

非居住者は提出義務の対象外です。したがって、出国年について居住者であった期間があっても、12月31日時点で非居住者であれば提出義務は生じません。逆に、年末時点でまだ居住者である場合には提出が必要です。

なお、提出を怠った状態で申告漏れが発覚すると加算税が5%加重される一方、適正に提出していれば5%軽減される措置があります。

14-2. 生命保険

  • 解約返戻金:解約時の一時所得は国内源泉所得に該当し、日本での課税対象となり得ます。解約のタイミング(居住者期間か非居住者期間か)で課税関係が変わるため、事前検討に実益があります
  • 契約の継続:契約者・被保険者が海外転居する場合の取扱いは保険会社により異なります。保険料の払込方法(国内口座からの引落し)の確保も含め、事前に確認してください

14-3. 個人事業の整理

  • 廃業する場合:「個人事業の開業・廃業等届出書」を税務署へ
  • 継続する場合:納税管理人の届出、青色申告承認の継続、消費税の届出関係を整理
  • 国内取引先との契約について、支払時の源泉徴収(非居住者への人的役務の対価は20.42%)の要否を取引先と共有しておく必要があります

14-4. 移住先での税務上の居住者判定

日本の非居住者となることと、移住先で居住者となることは別の判定です。両国で非居住者となる「タックス・ノンレジデント」状態を狙う設計は、近年各国で否認リスクが高まっています。移住先での居住者判定基準(滞在日数、住居の有無、生活の中心)を踏まえ、現地の税務アドバイザーを移住前に確保しておくことを強く推奨します。

14-5. 帰国時期の検討

  • 出国税の納税猶予を受けている場合、5年(延長時10年)以内の帰国で課税の取消しが可能です
  • NISAの継続適用を受けている場合、5年以内の帰国が非課税継続の前提です
  • 相続税の10年ルールとの関係でも、帰国は判定に影響します

移住は「出るとき」だけでなく「戻るとき」も含めた設計が必要です。

まとめ:出国前に判断が必要な事項

論点 期限 判断を誤った場合
納税管理人の届出 出国の時まで 出国税の納税猶予が使えない/出国日までに準確定申告が必要
マイナンバーカードの継続利用 転出予定日の前日 カードが失効し、再申請が必要
NISAの継続適用届出書 出国の前日 口座廃止、課税口座へ払出し
出国時期(年内か年明けか) 住民税1年分の差
国民年金の任意加入 遡及不可 加入手続きをした月からの加入となる
国内銀行口座の維持 出国前 年金保険料の納付・還付金受領に支障
医療保険の手当て 出国前 既往症により移住後の加入が困難になる場合がある

(注)本ガイドは、2026年8月時点で公表されている情報に基づく一般的な情報提供を目的としています。制度は改正されることがあり、また具体的な取扱いは個別の事情により異なります。実際のご判断にあたっては、税務・法務の専門家にご相談ください。

■当社サービスのご紹介

弊社は日本とシンガポールの双方に拠点を有し、出国時の日本側手続きから移住後の現地税務まで一貫してご相談を承っております。

Contact
移住に伴う税務・手続きのご相談は、お気軽にお問い合わせください

お問い合わせ