シンガポール 移住・赴任関連

シンガポールに相続税・贈与税はない

本稿では、シンガポール法・日本法双方に関係する事項を取り扱います。相続・贈与は個人の国籍、住所、在留資格、資産内容等によって結論が変わるため、本稿は典型例を紹介するものであり、個別案件の結論を示すものではありません。

先に結論:シンガポールでは、2008年2月15日以後の死亡についてEstate Duty(遺産税)が廃止され、一般的な個人間贈与に贈与税もありません。しかし、①日本の相続税・贈与税、②不動産・株式の移転に伴う印紙税、③遺言執行・検認(probate/administration)と資産ごとの承継手続は、別途検討が必要です。

1. まず押さえるべき3つのポイント

  • シンガポールのEstate Dutyは、2008年2月15日以後の死亡について廃止されています。IRASも、この日以後の死亡について、Estate Duty clearanceは不要と案内しています。
  • 「贈与税がない」ことは、無償移転が無税という意味ではありません。シンガポール不動産の贈与では、対価がなくても市場価値を基準にBSD(Buyer’s Stamp Duty)やABSD(Additional Buyer’s Stamp Duty)が課され得ます。
  • 日本の相続税・贈与税は、日本側の納税義務者区分と財産の所在地で判定されます。「双方が10年超海外在住なら必ず国外財産が非課税」という単純な説明は正確ではなく、国籍、過去の住所、在留資格、取得者・移転者の組合せを個別に確認する必要があります。

2. シンガポールのEstate Duty(遺産税)

シンガポールでは、2008年2月15日以後に発生した死亡についてEstate Dutyが廃止されています。したがって、現在の相続でEstate Dutyそのものを申告・納付する場面は通常ありません。もっとも、遺産に含まれる賃料・配当などの所得、Property Tax、売却益の性質などは別の税目・ルールで検討されます。

注意:Estate Dutyの廃止は、資産承継に関連するすべての税・費用の廃止を意味しません。

3. 贈与税はないが、資産移転にはコストがある

個人の私的な現金贈与は、通常、受贈者の所得として扱われるものではありません。ただし、雇用・事業の対価、利益分配、資産売却の実質を持つ場合は別の所得税・印紙税等が問題になります。

不動産を贈与する場合

IRASは、贈与による不動産取得でも印紙税の対象とし、対価がない場合は市場価値を基準にします。BSDは購入価格または市場価値のいずれか高い額を基礎に計算され、ABSDも贈与に適用され得ます。

項目 要点
BSD(買主印紙税) 不動産の取得に課税。贈与では市場価値を基準とする。住宅用不動産の最上位限界税率は6%。
ABSD(追加買主印紙税) 取得者の属性・住宅取得状況で異なる。外国人の住宅取得は、2023年4月27日以後の現行表では60%。法人等は原則65%。
相続による承継 相続による承継については、通常の売買・贈与とは異なる印紙税ルールが適用されます。個別の取引形態や書類に応じて確認が必要です。

例:S$1,500,000の住宅を外国人の子に贈与する場合、ABSDだけでも市場価値の60%相当となり得ます。実際の負担は、BSD、取得者の属性、住宅の種類、免除・還付の適用、書類の内容等を含めてIRASの現行表で試算してください。

株式・その他

株式の取得・譲渡書類にも印紙税が課され得ます。IRASは、購入価格または市場価値のいずれか高い額を基礎とする扱いを案内しています。一般にキャピタルゲイン税はありませんが、取引が事業所得に該当する場合は別です。

4. 日本の相続税・贈与税は別途判定する

日本の課税範囲は、「シンガポールに住んでいるか」だけでは決まりません。相続税では被相続人・相続人・受遺者等の住所、国籍、過去の国内住所、財産の所在地などを相続開始時点の制度に照らして判定します。贈与税でも、贈与者・受贈者の属性と財産所在地を確認します。

確認事項 なぜ重要か
被相続人・贈与者の住所と生活の本拠 住民票の有無だけでなく、生活の本拠などの実態が問題になる。
相続人・受贈者の住所、国籍、在留資格 国外財産を含む課税範囲に影響する。相続と贈与でルールが異なる場合がある。
過去の日本国内の住所・居住期間 10年等の期間要件が関係する場面があるが、「双方が10年超なら必ず非課税」とは限らない。
財産の所在地 日本国内財産は、当事者が海外在住でも日本側で課税対象となり得る。

重要:「10年ルール」は一般向けの一行説明で処理しないでください。国籍・在留資格・過去の住所期間の数え方、相続税と贈与税の違いを、申告時点の国税庁資料と専門家の確認で確定させる必要があります。

また、国外転出時課税は相続税・贈与税とは別制度です。国外転出時に一定の有価証券等を合計1億円以上保有するなどの要件を満たす場合(一定の居住要件等もあります)、未実現の含み益が課税対象となり得ます。

日星租税条約は相続税・贈与税を対象としていません。

5. 税金がなくても、承継手続は必要

シンガポールでは、遺言がある場合は、通常、Grant of Probate、適式な遺言がない場合は、Grant of Letters of Administrationを通じて、裁判所がexecutor/administratorの権限を認めます。日本の遺産分割協議書だけで、シンガポールの銀行・証券・不動産が当然に移転するわけではありません。

状況 主な手続 留意点
有効な遺言あり Grant of Probate 遺言で指名されたexecutorが申請。遺言の原本・認証翻訳等が必要になり得る。
有効な遺言なし Grant of Letters of Administration administratorが選任され、無遺言相続法等に従って管理・分配する。
CPF nomination、保険、共同名義等 資産ごとの指定・契約に従う 遺産(estate)を経由しない場合があるが、契約・実質所有権・日本税務は別に確認する。

資産が複数国にある場合は、国ごとに承継証明・検認・名義変更が必要になることがあります。

6. Probateを経由しないことがある資産と注意点

資産・手法 効果 注意点
CPF nomination CPF残高の受取人を指定する仕組み。遺言とは別に手続する。 婚姻前のnominationは婚姻により失効するため、婚姻後は必ず見直す。CPFの適用範囲・投資分等はCPF Boardで確認。
生命保険の受取人指定 指定方法によっては保険金が遺産と分離される。 保険契約、nominationの種類、受取人の状況を確認。
ジョイント口座・共同保有不動産 契約・保有形態により生存者への移転が生じ得る。 生存者権だけで結論を出さず、拠出割合・実質所有権・契約条件・日本税務を確認。
信託 受託者が信託財産を管理し、遺産から分離され得る。 設定時の贈与税、受益権、管理費用、受託者の義務を検討。

原則:Probate回避と日本の相続税回避は別問題です。名義変更やジョイント化を先に行うと、シンガポールでは手続が簡略化しても、日本で贈与・相続財産の認定が問題になることがあります。

7. 遺言の作り方:日本用とシンガポール用を分ける

シンガポールのWills Actには、遺言の方式に関する抵触法上のルールがあります。ただし、日本の公正証書遺言がシンガポールの実務でそのまま簡単に執行できるとは限りません。英訳、認証、外国法の説明、裁判所提出書類などが必要になり得るため、実務上は財産の所在ごとに遺言を分ける設計が検討されます。

  • 日本の遺言は、日本国内財産を対象とする。
  • シンガポールの遺言は、シンガポール財産等を対象とする。
  • 相互に他の法域の遺言を撤回しないこと、対象財産の範囲を限定することを明記する。
  • 証人は受遺者・受遺者の配偶者を避ける。
  • 署名・証人・原本保管・遺言執行者の連絡先を、作成後も更新する。

シンガポールには日本の遺留分と同一の制度はありませんが、Inheritance (Family Provision) Actに基づく扶養のための申立てが問題になる場合があります。また、ムスリムの相続には別の法的枠組みが適用されるため、一般論をそのまま適用しないでください。

8. 実務チェックリスト

  • ☐ 被相続人・相続人・贈与者・受贈者の住所、国籍、在留資格、過去の日本居住歴を整理したか
  • ☐ 日本国内財産(不動産、預金、証券、保険)とシンガポール財産を一覧化したか
  • ☐ シンガポール不動産の保有形態(joint tenancy/tenancy-in-common)を確認したか
  • ☐ CPF nominationと生命保険の受取人指定を、婚姻・離婚・出生後に更新したか
  • ☐ 日本用・シンガポール用の遺言が互いを意図せず撤回していないか確認したか
  • ☐ 不動産・株式の生前移転について、BSD・ABSD・その他の印紙税を市場価値ベースで試算したか
  • ☐ Grant of Probate/Letters of Administrationが必要な資産を洗い出したか
  • ☐ 日本の国外転出時課税、所得税上の国外財産調書・財産債務調書の提出要否、相続税・贈与税の申告要否を確認したか
  • ☐ 日星双方の税理士・弁護士に、同じ資産一覧と家族関係図を共有したか

まとめ

シンガポールの「相続税ゼロ・贈与税ゼロ」は、Estate Dutyと一般的な贈与税については概ね正しい表現です。しかし、日本人の資産承継では、税の有無だけでなく、①日本の納税義務者判定、②不動産・株式の移転コスト、③Grant・名義変更・資産ごとの承継手続、④遺言の法域間調整を同時に設計する必要があります。

主な公式情報源

免責事項:本稿は2026年8月13日時点で確認できた公開情報に基づく一般的な解説であり、税務・法律意見ではありません。制度・税率・要件は改正されることがあります。実行前に、シンガポールの弁護士・税務専門家および日本の税理士等へご相談ください。

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