「国際税務」という言葉を聞くと皆さんはどのようなイメージを持たれるでしょうか。複雑なルールで難しそう、税務という地味な世界の中では華やかで面白そう、などそれぞれのご経験その他によりいろいろな感想をお持ちになると思います。
実は国際税務には国内税務とは異なるいくつかの特徴があります。そのうちの一つに、通常一回だけ課税されるはずのひとつの利益(課税所得)計上に対して、子供のころ勉強した集合のベン図のように、全く課税されなかったり二重(場合によってはそれ以上)に課税されたりすることがしばしばあるという点です。
わかりやすい例を挙げてみましょう。移転価格税制という税制があります。ご存じの方も多いと思いますが、端的に言えば日本の会社が海外の関連会社との取引を市場価格(=第三者間取引価格)に基づいて行っていない場合に、市場価格で行われたとみなして課税するというものです。ここで一番重要なのは何をもって市場価格とするかという点で、この点についてさまざまな考え方があり、一意的に決めることが難しいことが議論の出発点であり問題の発生源でもあります。
上記は日本法人A社が製造した製品(製造原価80)を中国にある海外子会社B社に100で販売し、第3者であるC社に120で販売した場合です。この場合A社及びB社の売上総利益(販管費その他を無視した場合=課税所得)はそれぞれ20ずつです。
ここで上記取引に移転価格税制が適用されたと仮定してみましょう。移転価格税制は、原則として国をまたがる関連会社間取引に適用されます。したがって、この場合第三者であるC社との取引には適用されず、国をまたがる関連会社間取引であるA社とB社の間の取引に適用されます。また、移転価格税制は日本固有の制度ではなく、中国を含む世界の多くの国々で採用されています。
ここでは中国が移転価格税制を適用してきた場合を考えてみます。中国の税務当局が移転価格税制の適用をしてくる場合、中国の課税所得を増加させる目的で適用してきます。残念ながら逆はありません(これは日本も同じです)。このため上記の場合、中国の税務当局は、例えばB社の仕入価格(=A社の販売価格)が適切な市場価格を反映しておらず高すぎる。90が妥当であるなどと主張してくることになります。
もし、中国の税務当局によってB社の仕入価格は90が妥当であると認定された場合には、最長10年間遡って差額が課税され、さらに罰則や遅延利息などが課されることになります。この場合、取引量や取引単価にもよりますが、相当な追徴税額になる可能性もあり、またそのように相当な追徴税額になる場合を狙って移転価格税制を適用してくる傾向があります。
このような課税が行われた場合でも日本の税務上は、A社のB社への売上価格は100のままです。このため、B社の仕入価格100-90(=10)部分について、日本ではA社の利益(課税所得)となり、中国でもB社の仕入価格が90と見なされるためB社の利益(課税所得)となります。その結果ここで販管費その他を無視すれば、中国の課税所得は120-90で10増えて30となり、日本の課税所得は100-80で20のままです。このため、A社グループレベルでは、上記利益の100-90(=10)部分について日中双方で課税されることになってしまい、いわゆる二重課税が生じることになります。
この場合日本の税務当局にこの中国での課税の事実を通知すれば、日本の税務当局がA社とB社の取引を検証して、中国税務当局の市場価格に関する見解に同意できる場合、A社のB社への販売価格について90が適正な市場価格であるとして、自動的に日本のA社の税額を減額してくれるのでしょうか。
実はそれはそうは簡単にはいきません。なぜなら、先ほどもお伝えしましたが、日本の税務当局が自主的に移転価格税制の検証を行うのは、原則として日本の税務当局にとって税収の増加になる場合に限られるためです。このため、ただ中国での課税の事実を通知しただけではそもそも検証自体をしてくれません。
この場合、租税条約に基づいて「相互協議」という手続きを取らない限り、基本日本の税務当局は動いてくれません(ここでは触れませんが、実のところ相互協議は、その手続きを申請してもそう簡単に二重課税が解消するわけではなく、いろいろややこしい実務上の問題点があります。)。それどころか逆に、同じ取引に今度は日本の移転価格税制を適用してA社のB社への販売価格は110が妥当だなどと言ってくる可能性だってあります。
ここで、二重課税を回避するには外国税額控除という制度があるのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。簡潔にいうと外国税額控除とは、日本で課税対象となっている所得に対して海外でも税金が課された場合、その外国で支払った税金を日本の法人税から控除できる制度のことをいいます。結果この所得には海外の税金が課されるだけとなり、二重課税が回避されることになります。
このように二重課税回避の有力手段ともいえる外国税額控除制度ですが、残念ながらこの場合はうまくいきません。なぜなら外国税額控除は、日本法人であるA社が外国で払った税に適用されるものであって、通常のケースでは海外子会社B社が払った税金には適用がありません。このように外国税額控除は必ずしも万能というわけではないのです。この他にも外国税額控除はいろいろな制約があります。
そもそも他国が日本の課税利益に重ねて課税してきた場合に、その部分を無条件で還付していたのでは、日本の税源がどんどん浸食されてしまいます(それこそBase Erosionですね)。ここに国際税務の本質が垣間見えます。徴税権は国家の重要な存立基盤ですから、それを他国から無条件に侵されることがあってはならないのです。
ただし、昨今の関税論争に見られるように、経済的影響力の強い国が他国の利益に対してやたら課税をしてきたら、グローバル経済全体にマイナスがあるという理想論だけでなく、各論として各国は自国の利益防衛のためにその回避ないし軽減に注力することになります。ただ税金は一般に各国の議会の承認を経て各国の法律に基づいて課されるものであり、強制力のある国際的な裁定機関も存在しません。
このため、このような状況を改善するには、OECDのような国際機関における合議、調整や個別の外交的努力、または、他国に対して自国も対抗的な増収措置を講ずるか、類似的な税制を導入することをちらつかせ、圧力をかけて外国の不利益課税の撤回ないし軽減をする努力を図るなどの手段しかとれないことになります。しかし、いずれの手段も決定的な解決策になる保証はありません。
このように国際税務は、ある種外交ないし経済戦争としての側面があるといっても過言ではありません。これはその交渉に経済力を含む国力や、これまでの国ごとの関係性、及びその国の国際的な位置づけや産業構造などが複雑に影響してくることからも見てとれます。昨今の国際税務界隈では、このあたりのやりとりが現在進行形で進んでいると言え、その成り行きが非常に注目されます。
次回は今ホットトピックとなっている、グローバルミニマム課税とその周辺について触れていきたいと思います。
飯村 鉄雄(Name) / NAC顧問(香港常駐)及びグループ国際税務室長
デロイトトーマツ税理士法人東京事務所ビジネスタックスサービス(マネージングダイレクター)、PwC税理士法人東京事務所(パートナー)、大手損害保険会社国際税務リーダー等を経てNAC顧問就任。東京大学法学部卒、日本国公認会計士有資格者。